【小説】『グレート・ギャツビー』最高の余韻が残る一冊【感想】

『グレート・ギャツビー』読み終えた。kindleで読みたかったので野崎孝さん翻訳版。
村上春樹さん訳のものを読みたかったのだが、書籍しかなかった。

野崎孝さんの訳は少し古さを感じる訳だったが読むには一応問題ないレベルだった。
古さの例として登場人物の一人にDaisyがいるがディズィと訳されている。今、翻訳されるならデイジーとなるだろう。

『グレート・ギャツビー』は他にも、小川高義さん、枯葉さん、多数が日本語訳をしているようだ。
ちなみに枯葉さんのものはkindle版99円(2019年3月)。

あらすじ

主人公のニック・キャラウェイは、中西部出身でイェール大学を卒業後ほどなくして戦争に従軍し、休戦ののち故郷へと帰ってきたものの、そこで孤独感を覚えた。時代は狂騒の20年代のアメリカ。彼は証券会社で働くことを口実に、1922年ニューヨーク郊外のロング・アイランドにあるウエスト・エッグ(英語版)へと引っ越してくる。

隣の大邸宅に住んでいる人物は毎夜豪華なパーティーを開いている。青みを帯びた庭園には男たちや女たちが蛾のように集まって、ささやきやシャンパンや星明かりの下を行き交った。その屋敷の主がジェイ・ギャツビーという人物であると知り、興味を持つ。

ある日ニックはギャツビーのパーティーに招かれる。しかし、そのパーティーの参加者のほとんどがギャツビーについて正確なことを知らず、彼の過去に関して悪意を含んだ噂ばかりを耳にする。やがてニックはギャツビーが5年もの間胸に秘めていたある想いを知ることになる。

(wikipediaより引用)

時代背景

この小説を読み解くには、時代背景をある程度ひも解く必要がある。
『グレート・ギャツビー』が出版されたのは1925年4月10日。

第一次世界大戦と世界恐慌の狭間に書かれた小説。
アメリカの1920年代とは狂騒の20年代と言われていて、経済成長やインフラ整備、新技術によってアメリカが大きく発達した10年となっている。

娯楽はラジオ、映画、自動車の普及によって急激に質が高くなった時代。
しかし、禁酒法が施行されたという一面もある。

ただ、総じて華やかであった時代に本書の作者F・スコット・フィッツジェラルドは第一次世界大戦の経験で世界に冷ややかな目線を向ける「失われた世代」と呼ばれる小説家だそうだ。
(wikipedia参照)

感想、書評

この小説はウエスト・エッグに越して来たニックが体験した物語である。
物語の語り口がニックというのが素晴らしい。

彼は他人に干渉するわけではなく、思想はともかく、あくまで無味無臭な人物として描かれている。
それ故に全ての事情を知った上で物語を追求することができる、たった1人の人物なのだ。

その彼の語り口が素晴らしかった。他の小説でおもしろいシーンを挙げろと言われたら、息をつく間も無く展開がめまぐるしく変わるアクションシーンを選ぶこととなるだろう。
しかし、この小説で一番の見どころとなると事件が終わった後の、ニックが物寂しさを感じながら死を弔う箇所となるのだ。

というのもウエスト・エッグであったことすべてが夢のように消え、ギャッツビーだけが手品のように隠されてしまっているのがなんとも言えない余韻を残すからである。
その切なさ、空虚さがひしひしと伝わってくるのがこの本が名作と呼ばれているゆえんだと思う。

最後に特に好きなシーンを述べて終わりたいと思う。
そのシーンというのは、ラストにニックがトムと握手を交わすところである。

一度は握手を拒否するも、ギャッツビーに関する死の真相を聞いて、逆上するべきところを怒りをこらえるでもなく、あきらめに似た感情で手を握る。

この不愉快ではあるが、咎める気にもならない、けだるげな空気感が素晴らしい。
その描写や積み上げてきた作中での人間関係の構築。すべてが線で繋がって、色めいているからこその表現なのだ。

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