『金閣寺』ラストの謎【感想】

三島由紀夫の「金閣寺」を読んだ。同作者の「仮面の告白」を以前読んでおり、その緻密な表現と奇妙な生きざまに美しさを覚えていた。

そんな三島由紀夫の最高傑作と名高い「金閣寺」は予想を超える読み応えであった。

この小説は少年が金閣寺放火に至る史実をもとにした物語である。
放火というと激情に駆られてしてしまうイメージがあるのだが、その行為に至るまでの過程をしっとりと描いている。

主人公は幼少のころから吃りを抱えており、孤独な少年だったと思われる。
そんな彼に致命的な人格的影響を与えたのが、有為子と金閣寺だ。

有為子は幼少期に主人公が好きだった女性で脱走兵を捕らえるための囮となる。
その裏切りの姿は美しく、裏切りの証人となったことで主人公は自分が受け入れられたとまで感じた。

しかし、脱走兵に有為子は撃ち落とされ、脱走兵は自殺してしまう。
有為子はひとりの男に女として身を落としてしまったのだ。

次に金閣寺について語りたいと思う。少年の父は金閣寺が素晴らしいものだと少年に伝えていた。
しかし、実物を見ると感動はなく、空虚なものだと感じている。

その後、父が死に、金閣寺と再会することとなる。そこで少年は戦争で焼け落ちる可能性があるという主人公と金閣寺の悲劇的共通点を見出す。
そうすることで主人公は現実の金閣寺ではなく、心象の金閣寺による美を生み出した。

実際に見ても感動しないにもかかわらず、心象のみの美を見出すということが私にもあった。
京都に行ったときに見る方向を変えることで石が5個だか、6個に代わるという庭園を見た。

しかし、その実像は心に何の影響も与えなかった。しかし今振り返ってみると、それはそれで芸術な気がする。心象のみで補完されたのだ。
悲劇的な感性を交えて、創造したわけではないが主人公の金閣寺と近しいものを感じる。

閑話休題。さて、この物語の難解な部分としてラストシーンが挙げられる。
というのも金閣寺を燃やし、自殺しようとするも理由を付けてやめてしまうのだ。

実際に史実でも、未遂に終わったが自殺が行われた。では作中ではなぜしなかったのか?
そのことを読み解くには有為子が鍵となる。

有為子が脱走兵を裏切ることで、有為子は主人公を受け入れたと錯覚した。
同様に主人公が世間を裏切ることによって、主人公は金閣寺を受け入れたと思いこんだのだ。

寺に火を付けた後、主人公は金閣寺の頂の小部屋は開けようとした。しかし開かない。金閣寺から主人公は拒否されたのである。
そのとき有為子が脱走兵に殺されたのを思い出したのだろう。

拒否されて死ぬのは美ではなかったのだ。だから最後、逆に生きることを選択したのだろう。
以上は個人的な考え、感想である。どういう考えがあろうが最後の放火までたどり着くさまはすさまじい迫力を持ち合わせていた。

月並みな綴りしかできないのだが、「金閣寺」は最高の純文学小説だった。
解釈させる楽しみはもちろん、細部にわたるまでの心理表現はとても見事。
完璧主義の三島由紀夫らしい作品だった。