『砂の女』今だからこそ読んでほしい一冊【感想】

砂の女の初版は1962年。半世紀近く前に書かれた本作であるが、現在でも読み継がれている傑作小説である。
これほどの時間が経って古典化した思いきや、いまなお輝きを放ち続けている。

むしろ、その輝きは増しているかもしれない。というのもテクノロジーが発展し、人の生き方が改めて見直され始めたからである。
現在は誰もが情報を発信できる時代。生き方を選べる時代。それゆえに行きすぎた自由が存在する。

しかし却って、自由が人を縛り付け不幸にしているのではないかということを筆者は思う。
脳が現代に追いついていないのだ。すべきことの多さ、過去に選んできた選択肢、これらが脳内を埋めつくして処理しきれていないのである。

平成の時代に生まれた私の偏見ではあるが、昔は決められたものに沿って人が生きてきたように思える。
その象徴が終身雇用、年功序列。歳を重ねれば重ねるほど良い役職に就けるというものだ。

しかし今の社会ではスキルが重視され、これらの制度は崩れ始めている。
社会としては良くなったのかもしれないが、個人の幸せとしてはどうだろうか?

不幸せになった人が多いのではないかと思う。
一部の野心のある有能を除き、代用される恐怖で自分という地位を確定できないからである。

このことを踏まえて、本書を読みこむこととする。

主人公の男は一切の自由を奪われ、砂の中に閉じ込められる。
男はもがくものの脱走に失敗し、砂にまみれた生活を余儀なくされる。

しかし、最終的にはあれだけ拒否していた生活に楽しみを見出し、逃げることを自らの意志で拒否。
失踪届が出されて話が終わるというものだ。

この話は砂を掘っていれば、自分の生活が保証されるというのが肝である。
砂の外での男は教師であることが語られる。年が経てば取り残される職業とも言える。

つまり真逆。砂の中にいれば自分という価値をそこにとどめておくことが可能になるのだ。
その幸せこそ安倍公房の伝えたかったことなのではと思う。

小説, 書評

Posted by tahara